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☆初春の長崎へ*長崎市・軍艦島編

3月の長崎旅行レポートの続きです

☆初春の長崎へ*佐世保&九十九島編
☆初春の長崎へ*ハウステンボス編
☆初春の長崎へ*出雲&島原編
☆初春の長崎へ*長崎市・出島編



3月9日 長崎市 軍艦島

今回の長崎旅行の最大の目的、軍艦島にいよいよ渡ります

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軍艦島は正式名を端島(はしま)と言い
長崎港から南西の海上約17.5キロメートルの位置にある、明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄えた島です

江戸時代の元禄期のころに石炭が発見され、幕末に佐賀鍋島藩とトーマス・グラバーが共同で出資で採掘をスタート。明治に入り後藤象二郎が買い上げ操業を開始し、同じ土佐藩出身の岩崎弥太郎の三菱財閥に譲り、本格的に採掘が開始されました
端島炭鉱の石炭はとても良質で、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支え
石炭出炭量の増加に比例するように島は急成長を遂げ、1960年(昭和35年)には5,267人が住んでいたそうです
当時の人口密度はなんと世界一。東京人口密度の9倍以上とも言われているからスゴイですね

島内には、病院や学校・寺院・神社・派出所や映画館・理髪店などが立ち並び、島の施設だけで何不自由のない完全な都市として機能していたそうですが
やがて、1974年の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島となったのです

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さて、その軍艦島に上陸するには、いくつかの船会社が運営するツアーでしか行けません

私たちは、島の上陸の他にその周りを周遊するプログラムもあった
軍艦島コンシェルジュを選びました

午前10時半と午後1時に出発する便の2便があるのですが
最初、10日の10時半のツアーを予約していました
ところが、10日の天候が芳しくないと船会社から昨日連絡を貰い
急遽、まだ出航の可能性の高い、この日の午後1時のツアーに変更

天気は回復したものの、波がかなり高く
出航しても、上陸出来ない可能性もあると
この場でツアーを取り消すのなら、ツアー代は返金
しかし乗船してしまえば返金は不可能と、受付窓口で念を押されました

そんな事を言われても、折角ここまで来て、しかも最大の楽しみだったのだから引き返すわけにもいかず、条件を承諾
運を天に任す思いで乗船した訳です

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デッキ席と室内席
当然デッキ席を陣取り、そして用意されたベンチコートとカッパを着用

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ここまで重装備をしなければならないのかと、若干ビビったりもして・・・

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長崎港をゆるゆると進みます
湾内はまだまだ穏やかです

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余談ですが、この数日後、クイーンエリザベス号が寄港する予定だったのが
サイクロンの影響でキャンセルになったとニュースになってましたっけ

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この女神大橋は、大型の客船が出入りすることを考慮して、水面から非常に高い場所を人や車が通行する斜張橋の形式を取っているそうです

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湾を出ると、いよいよ波が荒くなってきて、水しぶきをかなり浴びる羽目になりましたが、これがちょっとしたアトラクションっぽく、個人的にはとても楽しかったです

船酔いそんなものの経験はありませんが、この揺れ方だと酔う人もいるでしょうね

船内の座席では、ビデオを見たりスタッフのお話を聞いたりしていたようですが
こちとらそんな余裕はありません
穏やかな日なら、デッキでもお喋りが出来るかもしれませんが

走る事約40分、そしてその姿が徐々に見え始めました

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船着き場は1艘分のみ
先に小さな船が到着していたので、その船が離岸するまで待機

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そしていよいよ上陸

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軍艦島は限られたエリアしか入る事が出来ません
赤いラインで示された所のみが、立ち入りが許された場所

全体的に、以前に写真や映像を見ていたモノよりも、かなり風化が進んでいるようです

まず、第一見学広場
そこから見えるのは

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大きな建物が端島小中学校
1958(昭和33)年に建てられた現存の建物は7階建てで、1階から4階までが小学校、5階以上は中学校
最盛期は生徒数が700名を超える程いたそうです

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当時の写真も見せて下さいました
写真の手前の黒い屋根の建物は体育館

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生徒たちは皆、身なりが良く、この島が裕福だった事を物語っています

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閉山前の昭和47年当時の新卒のお給料が5~6万円の時代だった頃に
ここでは20万円近い給料が支払われていたそうで、しかも住居費はすべて会社負担
何とも羨ましい

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その手前にドミノのように立ち並んでいるのが、貯炭ベルトコンベアー.で、支柱のみが残っています
精製された石炭はこの上を移動、貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船に積み込まれました

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高台に立つアパート
鉄筋コンクリート構造です

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その向こう側に見えている白い屋根が、端島神社

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貯水槽

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第二見学広場からは、工場や事務所が見えます

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第二竪坑坑口桟橋跡
鉱山施設が殆ど崩壊してしまった中で、唯一第二竪坑へ行くために設けられた桟橋への階段部分が残っています

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その横の赤いレンガの建物が、総合事務所
会社の職員70~80名が常駐し島内の指示を出していました

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更に進んで、第三見学広場へ

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ここからの見ものは何と言ってもこれ

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1916年(大正5年)に日本初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅として建てられた、30号棟・31号棟アパート.

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30号棟は鉱員住宅として建てられ、中が吹き抜けになっており、鉄筋コンクリート造としてもまだ試行錯誤の実験的段階だったので、建築学上大変貴重な建物
31号棟の1階には郵便局、公衆電話、理美容院、地下には公衆風呂があったそうです

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廃墟となった今は、鳥たちがねぐらとして使っているようです

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お約束の記念撮影

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私自身も廃墟好きではありますが、ここはやはり少し不気味な雰囲気が漂っていました
世界遺産登録を目指し、色々と賑やかな動きがある反面・・・

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ツアーでは、軍艦島の美しい面しか説明がありませんでしたが
実は、この島には負の面があります
朝鮮人や中国人捕虜が、強制徴用され、劣悪な就労環境で亡くなっていく人や自殺者もいたとか

住居はせまい部屋に7.8人住まわされ、妻は日本軍の慰安婦として連行
軍艦島がなかなか世界遺産に認定されなかったのは、こういった理由もあるからですね

1時間程の見学が終わり、再び船に乗ります
当初予定されていた、島の周遊は、波が荒いので中止となってしまいました
残念ではありましたが、上陸出来ただけ良しとするしかありません

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揺れに揺れた船で、海水をかぶりながら必死に撮った軍艦島のシルエット
何だか少し寂しげに見えました

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日韓の蟠りが無くならない内に、世界遺産登録されてしまうのでしょうか
しかし、ドイツのアウシュヴィッツ強制収容所のように、輝かしい歴史だけが世界遺産に登録されている訳ではありません

「華やかな観光地」としてだけではなく、負の歴史を学ぶ手段としても
この島は守られていけばいいなあと感じました

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軍艦島コンシェルジュ http://www.gunkanjima-concierge.com/


to be continued・・・


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