☆バスツアーで行く*富岡製糸場と足利フラワーパーク 1
- CATEGORY↳ 富岡製糸場&足利フラワーパーク 2015/5
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お天気に恵まれた今年のゴールデンウィーク
ゴールデンウィークと言っても、私自身は連休がとれる職業では無いのですが
1日お休みを取ってバスツアーに参加してきました
ずっと行きたかった、世界遺産「富岡製糸場」と
大人気の「足利フラワーパーク」
その2つがうまく組み合わされたツアーを、四季の旅さんで見付け、行って参りました
新宿西口都庁大型バス駐車場を7時45分に出発
上信越自動車道を一路北へ向かって走ります
1時間半程走って、甘楽PAで15分間トイレ休憩
更に20分程走って、10時に富岡製糸場に到着です
前日に、過去最高入場数を記録したとニュースで紹介されていたのですが
この日もたくさんのお客様が訪れていました
駐車場でバスを降り、城町通りという名の通りを真っ直ぐ
この通りは、お土産屋や食事処などがあり、とても賑やかです
歩く事3.4分、レンガ造りの建物が見えてきました
物凄い人です
最近また、新たな世界遺産登録の話で賑わっている日本ですが
その影響もあるのでしょうか
去年、一足早く世界遺産になったこちらへも、皆さんの関心が集まっているようです
こんな風に混雑する日は、やはりツアーは便利ですね
個人で来ると、券売場に永遠と並ばなくてはなりませんが
ツアーならば、待つ事も殆ど無くスムーズに入場できます
では、中に入りましょう
こちらが券売所である検査人館
場内は、ツアーガイドさんが解説、案内して下さいました
ガイドさんの声が聞こえやすい様、音声受信機が1人1人に手渡され
これを耳に付けて、説明を受けます
富岡製糸場とは
明治5年(1872)、日本初の本格的な器械製糸工場として誕生
明治政府が主要輸出品である生糸の品質向上と増産を目的に建てられました
建物や設備は西洋と日本の技術を融合して造られ、当時は最大級の規模を誇り
近代的な器械製糸の方法を国内各地に伝え、また、良質で安価な生糸を広く世界市場へ供給
昭和62年(1987)まで115年にわたり日本の製糸業を支え、日本の近代化と国際化を促す役割も果たしました
何故、富岡に
富岡界隈は、以前から養蚕が盛んで、生糸の原料の繭が容易に確保できた
周辺の土質が悪く、農業には不向きであった為、製糸工場として利用できた
製糸に必要な水が確保できた
燃料の石炭が近くの高崎・吉井で採れた
外国人指導の工場建設に、地元の人たちの同意が得えられた
などの理由から、富岡に建設が決まったそうです
明治政府は外国人指導者としてフランス人のポール・ブリュナを起用
彼は、建設地を富岡に選定しただけでなく、フランスから製糸場に必要となる技術者を連れてきたり、洋式の器械を日本人の体格に合うように改良したそうです
富岡製糸場の建物
約55000㎡の敷地に、木骨レンガ造りの繭倉庫や繰糸所、住居など
それらの殆どが、重要文化財および国宝に指定されています
東繭倉庫のこの美しい建物の木骨レンガ造りとは
木の骨組みに煉瓦を積み入れる技法で
しかし、屋根は伝統的な日本瓦を使っています
鉄枠のガラス窓や観音開きのドアの蝶番などはフランスから持ち込み
見事な和洋折衷建築が誕生したのだそうです
赤いレンガと白い柱や窓の扉のコントラストが、見事ですね
東繭倉庫のアーチ状の入り口には、明治五年という票石が貼られています
ここは、1階が事務所、二階が乾燥させた繭を保管しておく場所として使われていたそうです
繭倉庫は、西側にもう1つあります
東繭倉庫の隣が、繰糸場です
繭から生糸を取る作業が行われていた場所で、創業当初はフランス式の繰糸器300釜が設置された、世界最大規模の製糸工場でした
この建物もユニーク
屋根がニ重になっています
越し屋根と言って、その間に窓があり
場内で大量のお湯を使用するので、その蒸気を外に逃がして換気をする為に
このような屋根を設けたそうです
繰糸場の中へ
まず目に入るのが、見事な小屋組
広い室内には、中央に柱が一本もありません
柱が無くても、天井が支えられるのは、三角形に組み合わせた骨組み「トラス構造」という、従来の日本には無かった建築工法を用いているから
梁にかかる力を分散する事で、柱と柱の間を大きくとる事が出来、中央に柱を作る必要が無かったのです
正確には、キングポストトラスの小屋組と言うそうです
芸術的ですね
手許を明るくする必要性があったので、大きなガラス窓によって採光がなされています
この巨大な作業場に300釜のフランス式繰糸器が設置されています
それにしても複雑です
図解されていてもどう動くのか、さっぱりわかりません
モニターにはその様子の映像が、映し出されていました
ここでは、最大550名ほどの工女が働いていたそうです
「糸」という漢字は、この図の様に変化して作られていたってご存知でしたか
富岡で作られた生糸の多くは、アメリカに輸出され
当時流行だったストッキングにも使われたのだそうです
製糸場を出て、女工館や診療所を外観見学
女工館は女工が宿泊する為というよりは、女工に技術を教える為に
やって来た、フランス人女性教師の為のもの
歪んだ窓のガラスは、当時のままという証拠
保存状態が良いんですね
最後は、指導者ブリュナ氏の住居ブリュナ館
ブリュナ氏が家族やメイドと暮らしていた住居で
桟瓦葺きの寄棟屋根、高床式、周囲に回廊風のベランダを持つ
風通しが良く、開放感のある設計になっています
1時間という限られた時間内で、またごった返す人の中で
ガイドさんは、簡潔でわかりやすくお話をして下さいました
最近は国内で取れる生糸の量は激減してしまい、国内で消費される殆どの生糸はブラジル産や中国産が主となっていますが
日本にもこんなに画期的に生糸が作られている場所があったのかと
改めて教えられた1日でした
ホームページ
http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html
富岡を11時に出発し、この後ランチをとる為
「ハイウェイオアシス藤岡ららん」というサービスエリアに向かいます
to be continued・・・
ランキングに参加しています。今日もワンクリックお願いします
ゴールデンウィークと言っても、私自身は連休がとれる職業では無いのですが
1日お休みを取ってバスツアーに参加してきました
ずっと行きたかった、世界遺産「富岡製糸場」と
大人気の「足利フラワーパーク」
その2つがうまく組み合わされたツアーを、四季の旅さんで見付け、行って参りました
新宿西口都庁大型バス駐車場を7時45分に出発
上信越自動車道を一路北へ向かって走ります
1時間半程走って、甘楽PAで15分間トイレ休憩
更に20分程走って、10時に富岡製糸場に到着です
前日に、過去最高入場数を記録したとニュースで紹介されていたのですが
この日もたくさんのお客様が訪れていました
駐車場でバスを降り、城町通りという名の通りを真っ直ぐ
この通りは、お土産屋や食事処などがあり、とても賑やかです
歩く事3.4分、レンガ造りの建物が見えてきました
物凄い人です
最近また、新たな世界遺産登録の話で賑わっている日本ですが
その影響もあるのでしょうか
去年、一足早く世界遺産になったこちらへも、皆さんの関心が集まっているようです
こんな風に混雑する日は、やはりツアーは便利ですね
個人で来ると、券売場に永遠と並ばなくてはなりませんが
ツアーならば、待つ事も殆ど無くスムーズに入場できます
では、中に入りましょう
こちらが券売所である検査人館
場内は、ツアーガイドさんが解説、案内して下さいました
ガイドさんの声が聞こえやすい様、音声受信機が1人1人に手渡され
これを耳に付けて、説明を受けます
富岡製糸場とは
明治5年(1872)、日本初の本格的な器械製糸工場として誕生
明治政府が主要輸出品である生糸の品質向上と増産を目的に建てられました
建物や設備は西洋と日本の技術を融合して造られ、当時は最大級の規模を誇り
近代的な器械製糸の方法を国内各地に伝え、また、良質で安価な生糸を広く世界市場へ供給
昭和62年(1987)まで115年にわたり日本の製糸業を支え、日本の近代化と国際化を促す役割も果たしました
何故、富岡に
富岡界隈は、以前から養蚕が盛んで、生糸の原料の繭が容易に確保できた
周辺の土質が悪く、農業には不向きであった為、製糸工場として利用できた
製糸に必要な水が確保できた
燃料の石炭が近くの高崎・吉井で採れた
外国人指導の工場建設に、地元の人たちの同意が得えられた
などの理由から、富岡に建設が決まったそうです
明治政府は外国人指導者としてフランス人のポール・ブリュナを起用
彼は、建設地を富岡に選定しただけでなく、フランスから製糸場に必要となる技術者を連れてきたり、洋式の器械を日本人の体格に合うように改良したそうです
富岡製糸場の建物
約55000㎡の敷地に、木骨レンガ造りの繭倉庫や繰糸所、住居など
それらの殆どが、重要文化財および国宝に指定されています
東繭倉庫のこの美しい建物の木骨レンガ造りとは
木の骨組みに煉瓦を積み入れる技法で
しかし、屋根は伝統的な日本瓦を使っています
鉄枠のガラス窓や観音開きのドアの蝶番などはフランスから持ち込み
見事な和洋折衷建築が誕生したのだそうです
赤いレンガと白い柱や窓の扉のコントラストが、見事ですね
東繭倉庫のアーチ状の入り口には、明治五年という票石が貼られています
ここは、1階が事務所、二階が乾燥させた繭を保管しておく場所として使われていたそうです
繭倉庫は、西側にもう1つあります
東繭倉庫の隣が、繰糸場です
繭から生糸を取る作業が行われていた場所で、創業当初はフランス式の繰糸器300釜が設置された、世界最大規模の製糸工場でした
この建物もユニーク
屋根がニ重になっています
越し屋根と言って、その間に窓があり
場内で大量のお湯を使用するので、その蒸気を外に逃がして換気をする為に
このような屋根を設けたそうです
繰糸場の中へ
まず目に入るのが、見事な小屋組
広い室内には、中央に柱が一本もありません
柱が無くても、天井が支えられるのは、三角形に組み合わせた骨組み「トラス構造」という、従来の日本には無かった建築工法を用いているから
梁にかかる力を分散する事で、柱と柱の間を大きくとる事が出来、中央に柱を作る必要が無かったのです
正確には、キングポストトラスの小屋組と言うそうです
芸術的ですね
手許を明るくする必要性があったので、大きなガラス窓によって採光がなされています
この巨大な作業場に300釜のフランス式繰糸器が設置されています
それにしても複雑です
図解されていてもどう動くのか、さっぱりわかりません
モニターにはその様子の映像が、映し出されていました
ここでは、最大550名ほどの工女が働いていたそうです
「糸」という漢字は、この図の様に変化して作られていたってご存知でしたか
富岡で作られた生糸の多くは、アメリカに輸出され
当時流行だったストッキングにも使われたのだそうです
製糸場を出て、女工館や診療所を外観見学
女工館は女工が宿泊する為というよりは、女工に技術を教える為に
やって来た、フランス人女性教師の為のもの
歪んだ窓のガラスは、当時のままという証拠
保存状態が良いんですね
最後は、指導者ブリュナ氏の住居ブリュナ館
ブリュナ氏が家族やメイドと暮らしていた住居で
桟瓦葺きの寄棟屋根、高床式、周囲に回廊風のベランダを持つ
風通しが良く、開放感のある設計になっています
1時間という限られた時間内で、またごった返す人の中で
ガイドさんは、簡潔でわかりやすくお話をして下さいました
最近は国内で取れる生糸の量は激減してしまい、国内で消費される殆どの生糸はブラジル産や中国産が主となっていますが
日本にもこんなに画期的に生糸が作られている場所があったのかと
改めて教えられた1日でした
ホームページ
http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html
富岡を11時に出発し、この後ランチをとる為
「ハイウェイオアシス藤岡ららん」というサービスエリアに向かいます
to be continued・・・
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